寺福見の海中にある切り石について(久賀島村史より) of 久賀島 - Hisakajima


HOME > 民話 伝説 > 寺福見の海中にある切り石について(久賀島村史より)

福見の沖の平瀬という所の海中には、柱状の大きな石が何本も重なってある。
諸説あり

img2.jpg

①壇ノ浦より落ちのびてきた落武者が、寺福見に集合して、
砦を築かんとツブラ島から石材を運んでいたが、
たまたま海賊船往航、源氏の追手来たりと誤解し、
石材を海中に投じて、形跡をくらましたという。

②五島公が、宇久山本の館を発って奈留瀬戸にさしかかった時に、
福建省の海賊が寺福見に、しばしの居を構えようとして、
石材を運んでいたが、その五島公の軍船を海賊追討軍と見間違って
海中にその石材を投じて逃げ去ったものであるという。

③鬼どもが、寺福見を安住のところと選定して、岩戸を築かんとて、
寺の地蔵に申し出たところ、明朝一番鶏の鳴かぬ間に築き終われば
よろしいというので、急いで仕事にとりかかったが、福見の浜辺に石材を
運んで来た時に一番鶏が鳴いたので、海中に投げ込んでしまった。

古老に聞いた伝説

img1.jpg

 久賀島には九十九谷あり、鬼が棲むには非常に都合のいい島であった。
ある日、鬼が福見の恵剣寺の住職のもとにやってきて、
福見に自分たちの砦を築かせてくれと頼んだ。
住職は、島民のことを考えて、断ろうと思ったが、目の前の鬼の姿に恐れをなし、
つい許可を与えてしまった。
しかし、「明朝一番鶏が鳴くまでの間に築いてしまうように」と言う条件をつけた。
住職は、それはかなわぬだろうと思っていたが、鬼にとっては、
いとも簡単なことであった。

img3.jpg

 さて、その日の夕方より住職は、ひたすら寺の中で耳をすませていた。
だんだん夜更けになり、一心にお経を唱えている住職に耳に、
かすかに鬼どもの声と魯を漕ぐ音が聞こえ始め、やがて、だんだん近づいてきた。

img4.jpg

 住職は驚き慌てて、このまま砦を築かせてしまっては大変なことになると、
思わず「コケッコッコー、コケコッコー」と、大きな声で叫んだ。
これを聞いた鬼どもは、福見の浜の近くまで運んできていたが
「もう、そんな時間だったのか」と悔しがりながらも、約束は約束なので、
ツブラ島から切り出してきた石材を、海中に捨てて逃げ去ったという。

 福見では、鶏の鳴きまねをしたというのではなく、住職が鶏の足を懐に
入れて温めていて早く鳴かせたと言い伝えられている。

福見の地名について(久賀島村誌参照)

福建省の海賊船が五島に来襲した時、天候の都合で福見に寄港、或いは
上陸していたが、この時から福建とよばれていた。
この「建」を「見」に書き換えられたという。五輪福見にたいして、恵劒寺が
あるところから「寺福見」と呼んでいる。

福見山恵劒寺(久賀島村誌参照)

時代は不明であるが、慈雲山恵劒寺と稱していたが、福見山恵劒寺と改稱された。
この恵劒寺の住職は、代々高僧であったといわれるが、火事で記録を無くしたしまった。
近年までは「五島公奥方代理参拝證」と書かれた立て札が残っていたように、
藩主の奥方代理が参拝していた。
大正12,3年頃までは、高さ1mほどの立て札が残っていた。
なお、この恵劒寺のそばには川が流れていて、眼病に効くといわれている。
昔は、治療のために逗留する人々が多かったそうである。